空をはさむ蟹

くうをはさむかに 〜子規門下雑記帳〜

イタリア人青年士官との逢瀬

 今回は柔らかい話を、前回までよりは柔らかい感じで書きたいと思います。

 近代の有名な男性作家達の書簡や日記、随筆などを読んでいると、同性の友人や尊敬する作家に対して、恋愛感情でも持っているかのような親密なやり取りや、嫉妬心が見え隠れするようなものに出会うことが少なくないように思います。文学青年達の精神的な孤独と共感が火種となり、そこに彼らの人間観察力と文章力や語彙力が大小の薪のように重なり合いながらくべられて焼きあがった文章というのは、今の私たちが今の感覚で読むと、ちょっと赤面してしまうこともしばしばです。

 しかし、精神的な深い友情だけに限らず、それとはまた少し別に、同性に対してシンプルに甘いトキメキ(?)を抱くタイプの人々もいて、私は碧梧桐もその一人だったのではないかと思っています。

 例えば、碧梧桐が、もう歩くことのできない病床の子規をおんぶして運んだ過去のある日を思い返しながら書いたこの文章は、初見の人にとってはなかなかの驚きでしょう。

 

「(子規を背負い)頬のあたりに感じた子規の息吹と、肉体のほの暖か味の骨から髄へ滲み込む、言ひ知れぬ感触を忘れることはできなかった。妙な言ひ様であるかも知れないが、師であり兄であり友であった子規は、同時に又た我々の同性愛的恋人でもあつた。恋人の肉体に初めて触れる、そんな気持ちからの悦びも包まれてゐたのであらうと思つたりした。」

(『子規の回想』昭和19年6月(昭南書房)、復刻版:平成4年11月(沖積舎))

 

 また、碧梧桐を回顧するある座談会では、長老格であった温厚な弟子の六花は、碧梧桐が東北出身のきれいな青年門下を可愛がっていたという思い出話をさらりと披露しています。碧梧桐がその青年を可愛がっていた当時、同じ碧門の門弟であった乙字は「ありゃあやしいよ」などと言ったりもしたとか(生意気な乙字らしい言い草です)。「そういう関係ではなかったですよ」と六花は一笑に付しながらも、実にかわいい人だったのでとにかく可愛がってはいたんですよ、と回顧談を締めくくっています。(「俳句研究」第18巻第2号 河東碧梧桐特集 昭和36年2月)

 

 さて、前置き(予備情報?)はこの辺にして、今回のタイトルであるイタリア人士官の話に移りましょう。これは『ピーサ・フランチェスカ君』という短い随筆の話です。『なつかしき人々 碧梧桐随筆集(瀧井孝作 編)』という平成4年に出た本に再録されているので、碧梧桐の著作の中でも古本を手にするのは比較的容易です。いくらかの解説とツッコミを交えて内容をなぞりたいと思いますが、良かったら随筆のほうも読んでみてください。 

注:以下、「」部分は基本的に随筆本文からの引用。適宜、常用漢字を使用。地図は、随筆中に出てくる地名と、当時および現在の国境をブログ主が図示したものです。

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碧梧桐イタリア地図1

 大正9年末に欧州へ向けて旅立った碧梧桐は、翌年2月8日、フランスの地中海側の港町マルセイユに上陸したのち、陸路イタリアへ向かい、16日にローマ入りを果たした。イタリアの、特に芸術に惚れ込んでしまった碧梧桐は、その後4ヶ月もイタリアに長逗留することになるのだが、その青年との出逢いの日は、ローマ入りしてまだ間もない頃のことであった。碧梧桐は、かの有名なサン・ピエトロを初めて見物しに行くために、東京に比べるとレトロさを感じさせるローマの電車に揺られていた。

 すると、そんな異邦人碧梧桐の肩を後ろからトントンと叩く人が居た。すでに挨拶に行っておいたローマの日本大使館の人と偶然会ったのかと思い振り返ると、目に飛び込んできたのは、人懐っこい笑顔を軍服に包んだイタリア人の青年士官であった。

 青年士官は英語で「あなたどちらへ」と話しかけながら隣に座った。そして碧梧桐が日本人であることを確認しながら、行き先を訪ね、サン・ピエトロを観光するなら案内しましょうと提案してきた。彼の軍人らしい姿勢の良さと、「豊頬爽眼」の爽やかで誠実そうな容貌から滲み出る人柄を観察した結果、碧梧桐はその申し出を受けてみることにした。

 実際のところ、彼がサン・ピエトロを良く知るがゆえにガイドを買って出たわけではないことは、彼がその辺りの僧侶を捕まえては説明させてそれを英訳する様子からすぐに分かった。むしろ美術や歴史について詳しく語るには知識や英語の語彙力は不足しているくらいであった。おそらく、東洋の日本人が物珍しくて交流してみたかっただけなのだろう。とはいえ、サン・ピエトロは碧梧桐の鑑賞眼を満足させて有り余る素晴らしい場所であり、ふたりは二時間近くも一緒に歩き回ってからやっと表玄関に出てきた。

 ローマにやってくる以前にピサの斜塔などの観光地をめぐり、がめつい現地ガイドなどとのやり取りを経験していた碧梧桐は、この若い青年も多少のガイド料を期待しているのだろうと思っていた。また、士官とはいえ、まだ一番下の貧乏少尉か、やっとこ大尉位だろうと推察していた。そこで別れ際に20リラ紙幣をチップのようにむき出しで手渡そうとした。ところが青年は「ジェントルマンの交際である」と、決して受取ろうとはしなかった。こういうイタリア人もいるのだなと感心する碧梧桐であった。

 そうして宙に浮いたガイド代でふたりはカフェに寄り、一服した後の改めての別れ際、青年士官は翌日も碧梧桐の観光に同行したいと提案してきた。急ぐ予定も同行者もいない碧梧桐に断る理由はなく、二人は明日を約束して別れたのであった。

 

 青年士官は信頼できそうな人間ではある。しかし軍務もあるはずの彼が何故自分に構ってくるのだろうという疑問も、碧梧桐の胸の隅には引っかかっていた。翌日、午前10時に待ち合わせ場所である日本大使館正門に来た碧梧桐は、登庁してきた顔見知りの大使館員に前日の出来事を話してみた。館員は、「本当の軍人かどうか、十分ご警戒なさい」と一笑に付しながら去っていった。

 間もなく待ち合わせ場所に現われた青年士官は、偶然出会った昨日よりも髭をきれいに剃っていて、昨日と同様に若々しくニコニコとしていた。「髭をきれいに剃って」という表現に、碧梧桐が青年に好印象を持っていることが窺える。警戒したほうがいいのだろうかという懸念は、青年の爽やかな笑顔を見ると引っ込んでしまっていた。

 その場限りのガイドではなく、旅先の友人へと昇格しかかっている青年について、碧梧桐はもう少し情報を得ることができた。彼は、ローマから北東へイタリアを横断したアドリア海側のアンコーナ(Ancona)という港町の部隊所属であり、今はローマ見学に派遣(という名の休暇?)されているとのことであった。異国人のローマ観光に付き合ってくれている背景は何となく納得された。彼もローマで一人だったのだろう。

 昼食にコロンナの広場のレストランに入ると、青年はメニューを取って碧梧桐の希望を聞き、「僕も」と従順に同じものを注文した。「なるほど君は魚が好きか、僕も大好きだ」「葡萄酒も一杯、それも大賛成」といった調子である。碧梧桐は「私の秘書であり又た従者であるかのよう」と書いている。二人の年齢差を考えるとそうなるのかもしれないが、青年側がイタリア人らしくエスコートしているようにも感じるのは私だけだろうか…。(碧梧桐は当時数え年で49歳。しかしスリムな体型でもあったし、欧州では実年齢よりはそこそこ若く見られたであろう。)

 一日市内を観光して回ると、この日は碧梧桐を下宿の前まで送ってくれた。そうして、また明日も午後からローマ見物に出かけようと碧梧桐に約束を取り付けて、青年は帰っていった。

 

「私は(下宿の)夕飯を済ませて、ベッドの上に、彼との奇しき運命を、今後どう展開するかの想像に耽つてゐた時、宿の女中が、さも一大事が突発したやうに私を誘ひに来た。下宿の入り口に立つてゐるのは、彼れ青年士官であった。」さっき別れたばかりの彼が再び訪ねてきたのであった。

 彼が夜のローマを見に行こうと急に誘いに来たのかと思った碧梧桐は、「奇怪なショック」を受けたという。良い意味なのか悪い予感なのかが分かりにくいが、おそらく悪い予感の方だったのだろう。

 実はローマに来る前のジェノヴァでも、碧梧桐は24,5歳の青年に声を掛けられ、カフェなどを案内してもらったことがあった。旧友のように親しくしてくれる青年だと感じていたが、ある日、彼は同じホテルに泊まっていた二十歳前後の若い女性二人を引き連れ、碧梧桐をWデートのようなものに誘ってきた。その女性たちがホテルのレストランで騒いでいるのを見かけていた碧梧桐は、お近づきになりたいという気持ちは全く持っていなかった。そんな女性の一人をパートナーとしてあてがわれて、言われるがままに夜の長い散歩に付いて行ったのだが、英語の喋れないイタリア女性との沈黙の散歩は「凡そこの位無趣味な、曲節のない、放心したような散歩があるだろうか」という記憶を碧梧桐に刻み込んだのだった。(随筆『お嬢さん』より)

 

 ローマのこの時も、そんな夜の無趣味散歩にまた誘われるのかと一瞬思ったのではないだろうか。しかし、今回は違っていた。青年士官は隊の急な命令によって、今夜の汽車でアンコーナの隊へ戻らなくてはいけなくなったというのである。急すぎる別れであった。青年は、また会う機会が訪れるかもしれないからと言い、自分の所在を連絡するので、イタリア滞在中は碧梧桐からも手紙をくれと乞うてきた。ふたりは初めて本名を明かし合い、連絡先を交換し合った。二人ですごす時間が段々と楽しみになってきて、明日の外出は何をしようかとベッドで次のプランを思い描いていた碧梧桐は、率直にその残念な気持ちを文章に吐露した。

「私は手にしたものを落としたやうな、物足らない寂しさに打たれねばならなかった。」

 

 その後、アンコーナとローマとの間で1,2度葉書を往復していたが、青年からの返信がしばらく途絶えた。まぁそんなものかなと思っていた碧梧桐の元に、一ヶ月ほど経ってポーラ(プーラ)の軍港から便りが届いた。青年はポーラに移っていた。そうして、ポーラはベニス(ヴェネツィア)から船で半日なので、ベニス観光をする気があるなら、ついでにポーラにも来ないかという言い方で、青年は碧梧桐をポーラ行きに誘ってきた。

 第一次世界大戦後のこの当時、ポーラ(イタリア語)はオーストリアからイタリア領に変わっていた。現在は、クロアチア領のプーラ(クロアチア語)となっている港町である(画像の地図参照)。

 フットワークの軽い碧梧桐は、すぐに旅支度を整えてベニスに向かった。4月の初めの事である。ベニスからポーラへ電報を打ち、ポーラのホテルに入ると、手紙で自分の到着を連絡した。

 

「士官は雀躍(じゃくやく)して飛んで来た。その欣快(きんかい)な態度は、若い燕と形容するには余りに偉大な肉体の跳躍であった。」

 

 わ、若い燕?と文中のその比喩を私が二度見したのは言うまでもない…。「若い燕」とは、平塚らいてうの恋人であった奥村が、著名な女性運動家であるらいてうの邪魔にならないよう身を引こうとして、自分を彼女から飛び立っていく燕に例えたところから広がった流行語である。流行語となったのが大正初めの頃の事だろうから、この頃の碧梧桐の語彙の中には既に入っていたのである。

 

 ようやく再開することのできた二人が遊興プランとして選んだのは、ポーラの沖合に浮かぶブリオニー島(クロアチア語ブリユニBrijuni)への一泊旅行であった。ブリオニー島はポーラ軍港で働く人とその家族の絶好の遊楽地となっていた。緑あふれる美しい自然と古代ローマの遺跡があり、「絵画美と夢幻美の濃厚な」離れ小島の雰囲気を漂わせていた。草を踏み小道を抜け、森の中にあらわれた無人の塔の上に立つと、碧梧桐は自分たちが映画の中の登場人物になったような心持になった。

 

 しかしコミュ力の高いイタリア青年というのは、どうしても女性と交流する時間を設定しなければと思うのだろうか。島のホテルの食堂で夕食時間のあいだ周りを観察していた青年は、僕のダンスを君に見せてあげようと言って、若い女性をふたりつかまえてきた。女性の一人がピアノを弾き、もう一人の女性と青年がペアを組んで踊り始めた。しかし、どうも二人のダンスのスタイルが異なっており、チグハグな踊りにしかならない。傍で見させられている碧梧桐は、それを微笑して見守ってあげるよりしかたなかった。

 

 翌朝、青年は別の女性二人組を連れてきた。なんと今度は碧梧桐の好みにも叶っていた。英語の話せる、10歳と7歳くらいの姉妹だったのである。碧梧桐は非常に子供好きである。虚子の子供たちのことも良く可愛がったので、虚子が「私よりも良く懐いている」と言ったりしたこともあるほどであった。

 7歳のお喋りな妹は、碧梧桐に手を引かれながら彼女のお気に入りの玩具について喋りつづけた。そうして喋り歩き疲れた最後には、碧梧桐におんぶされるという気の許しようであった。姉の方は青年と追いかけっこをしてはしゃいでいた。国籍も年齢も性別も関係なく友達のようにして遊ぶこのオープンマインドには、碧梧桐も感心せざるを得なかった。

 

 ポーラを発ち、青年と再び別れ、ひと月以上過ぎた5月の半ばのことであった。青年から、今度は南イタリアナポリに帰省しているからこっちに来ないかという誘いが舞い込んできた。南イタリアという単語にも惹かれ、碧梧桐には何の躊躇もなかった。早々と旅装を整えると青年に電報で返信をして、ナポリへ向かった。ところが…

「当然彼の偉大な跳躍が私の眼前に漂蕩(ひょうとう)する光景を描いてゐたにも関わらず、彼の姿は、遂に私のホテルに現はれなかつた。」

 また、隊から急な帰投命令が下ったのだろうか。再び、青年士官は碧梧桐の手をすり抜けてしまったのだった。

「均斉のとれた肉体、豊かな額、ソプラノ式の声、それは再び私の視野から永久に葬られたものとなった」

 そう思いをはせる碧梧桐の元には、二人で観光をしている間に碧梧桐のカメラで撮った、青年士官の写真が2,3葉残された。それを見返すたびに、脳裏にはあの時の記憶がイタリアの爽やかな日の光ととものよみがえるのであった。随筆はこう締めくくられている。

「嗚呼我がピーサ・フランチェスカ君!」

 

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 ナポリに青年が現れていたら、ふたりはどのくらい仲良くなっていたでしょうか。碧梧桐のフットワークの軽さもあるとはいえ、青年の事をかなり気に入っていたようなので、読者としても、もう少し二人の交流を読んでみたかった!