碧梧桐の欧州旅行思い出随筆のひとつから、『ピーサ・フランチェスカ君』という話を、以前紹介しました。碧梧桐とイタリア人青年が旅先で意気投合し、瞬間風速的に仲良く交流した話です。 shikimonka.hatenablog.com 帰国後に書かれたと思われるこの随筆シリ…
この日から、被災者のために無料の電報の受付が始まるという情報を得て、碧梧桐は昨晩のうちに作っておいた約10通の電報文を携えて、東京駅前の中央電信局を目指して出かけました。 出てくる建物や地名の主なものを、地図に書きこんだり、地図上の記載をわか…
震災から四日目。碧梧桐は東京の知人の震災見舞いを始めることにしました。まずは西へと歩き、四谷の愛住町(今も同じ地名が残る)のI氏宅へ向かいました。本文中の二人の会話から、このI氏というのは、同じ松山人の子規の友人かつ俳友であり碧梧桐とも付き…
三日の朝、碧梧桐は甥を連れて再び備蓄食料の買い出しに出かけました。するといつの間にか、この加賀町一丁目のはずれに“自警団”の屯所なるものが出来ており、通行証を持たなければ出入りを許さないシステムになっていました。碧梧桐がそこで自警団自作の通…
大震災から一夜明けた二日の朝、碧梧桐が姉家族の長屋で目を覚ますと、火事見物と避難を兼ねて昨夜向かいの第四中学へ行っていた姉や妻たちも、いつのまにか長屋に戻ってきていました。そうして彼女たちから、碧梧桐はこんなうわさ話を聞かされます。 「ゆふ…
関東大震災の日を目前に控え、今日から複数回に分けて、碧梧桐が震災当時を綴った文章を紹介したいと思います。雑誌への掲載時、『大震災日記』というタイトルの前の行には『創作』と書かれています。これは、「個人の実際の日記からの転載ではなく、(今で…
今回は柔らかい話を、前回までよりは柔らかい感じで書きたいと思います。 近代の有名な男性作家達の書簡や日記、随筆などを読んでいると、同性の友人や尊敬する作家に対して、恋愛感情でも持っているかのような親密なやり取りや、嫉妬心が見え隠れするような…
碧梧桐の人生を大きく特徴づけるのは、その旅する行動力だと言っても過言ではないだろう。約一年半の第一回と約二年三ヶ月の第二回に分けて行われた、北は北海道から南は九州までの全国旅行は、『三千里』『続三千里』として知られている。 その後も、中国大…
昭和12年2月1日月曜日、深夜11時過ぎ、俳人・河東碧梧桐(明治6年2月26日生れ)は唐突にこの世を去った。1月30日に豊多摩病院(現在の新宿区)に入院し、31日に危篤がラジオニュースで伝えられ、そして翌日の夜に逝ってしまった。ひと目逢いに行こうとして間…